「和を以って尊しとなす」
この言葉をご存知でしょうか。和とは、人との健全な繋がりを表します。我々人間は社会性の生き物です。良くも悪くも、日々他人との様々なつながりの中で生きています。
どうせ繋がるのなら、良い結びつきでありたいと願うのは、当然の人情です。武士道における和とは何でしょうか。血なまぐさい戦国の世において、奇襲や裏切りはお手のもの。和とは縁遠いものの様に見えます。
しかし戦国武士道においても「和」はやはり尊いのです。しかしちょっと目線が異なります。戦国時代は当然自分たちの領地を広げるために隣国を滅ぼす事が目標の一つになります。しかし、天下統一を目指した織田信長はともかく、さすがに全ての国を滅ぼしてしまおうとは考えないものです。
四方を隣国に囲まれた国であれば、その全てと敵対してしまえばまさしく四面楚歌です。それでは自ら、自分の首を絞めに行っているようなものです。武士道は、戦うのみにあらず。和をもたらす事も、また教えの一つです。
「情けは人の為ならず」
この言葉も有名ですね。勘違いが無いように一応説明しておくと、情けは巡り巡って自分に返ってくるから、むしろ自分の為である。という意味です。
戦国武士道の和は、まさしくこの様なものです。
現代における我々だって、周りが敵ばかりでは疲れ切ってしまいますし、信頼できるビジネスパートナーは大いに越したことはありません。
しかし信頼はそう簡単に得られるものではありません。信頼を勝ち取るために、武士道では、武士として様々な在るべき姿を示しています。
その一つとして、特に進めたい心構えが、
「人を責める理由を手にしても、優れた武士は他人を責めない。」
という教えです。
勘違いしてはいけないのは、責める事と裁く事の違いです。何でもかんでも許すという事ではなくて、必要な裁き(現代的に言えば減給などの処罰)はするが、感情に任せて口汚く罵ったりしないという事です。その様に感情に支配されて動く人は、自制心に欠け、立派な人物とはかけ離れています。そんな様子では、和をもたらす事は難しいでしょう。
そして情けは人の為ならずの法則で言えば、また良い行動とは言い難いのです。例えば部下が遅刻したとします。厳重注意や、場合によっては必要な処罰を与える事はやぶさかではないでしょうが、やはり罵ったり馬鹿にしてはいけません。もし自分が遅刻してしまった時には、その部下からとても白い目で見られるでしょうし、信頼や尊敬すら失ってしまいます。
罪を憎んで人を憎まず。これも武士において必要な哲学の一つなのです。