「清貧」という言葉をご存知でしょうか。貧しくとも気高く生きる様を表した言葉です。非常に気高い生き方であるし、立派な人物でもあると思います。中には清貧こそ武士の絶対条件と考えているような方もいるのではないでしょうか。しかし勘違いしてはいけないのは、儲ける事を嫌い、清貧である事が優れた人物の条件ではないという事です。
清貧がなぜ素晴らしいのか、それは、普通は貧しければ心が荒み、真っ当な生き方が出来ないからです。そんな苦境にあっても、高潔な魂を失わずに生きる事は並大抵の事ではありません。だから清貧は尊いのです。
逆を言えば、貧しくなければそんな無駄な努力は必要ないわけです。「貧すれば鈍する」という言葉があります。貧しいと真っ当な判断もおぼつかなくなるのです。常に正しい選択をし続けるには、富める者の方が圧倒的に有利なのです。これは現代の教育事情に置き換えてみると分かりやすいでしょう。裕福な家庭に育つものは、様々な教育を受ける事が出来ます。逆に貧しい家庭に育つものは、標準的な水準の教育も受けられない場合があります。塾に通うのだって、大学に入学するのだってお金が掛かるのです。
武士だって、我々現代人だって、わざわざ貧しくある必要はないのです。戦国の武士の最大の興味関心が立身出世であったことは前述しました。もともと、戦国武士道では出世を推奨していましたし、仙人でもなければ当然の事なのです。
自身の出世の為、自身の能力を磨き、必要な行動を迅速に行う。武士道の教えは常に現代に生きる我々にとっても非常に重要な教えを多く含んでいます。
現代の日本人の多くは、お金に執着する様をあまり良しとはしませんし、出世の為に努力するという感覚も薄れている方が増えてきているように思えます。
出世という文字は、世に出ると書きます。何もお金を沢山稼ぐ事だけを指すわけではありません。自分が本当にやりたいと思う仕事で成功する事も出世と言えます。
今一度自分自身を見つめなおし、自分の進むべき道を見定める事が重要です。その為に強さとしなやかさを持って邁進すべし。武士道には、そんな教えもあります。